石牟礼道子『苦海浄土』――語り・笙野頼子・〈地方〉

 講談社文庫より2004年に新装版で出たもので読む。
 歴史にはメルクマールとなる出来ごとがある。いや、というよりも、ある起点から現在へ、そして未来までの線上の時間観念を僕らが歴史と呼ぶなかで、その平板さ、把握し易さをこしらえた歴史そのものが拒否するみたいに、突起点が生じるとでも言ったほうがいいのかも知れない。日本列島に限っても、多くの突起点が見出されるだろう。それらは、戦争によって(広島、長崎への原爆投下)生まれもすれば、自然災害(震災)によって生まれもする。そして、古くは足尾鉱毒水俣病、富山のイタイイタイ病、三重の四日市喘息、新潟水俣病――これら近代によって生まれた公害という突起点も、この日本という国は歴史のなかに織り込んでいる。
 突起点を語ることの困難。しかも、その困難さを理解したうえで語るということ、それは、歴史の突起点を均してしまおうとする、ひとびとの消極的で無関心な「しょうがない……誰のせいでもない」に抗うということ。本書を貫くテーマは、まさにこの一点の語るということにある。そう、僕は思う。
 水俣病は、1956年に発見され、58年には疫学、病理学、臨床試験などでその激烈な症状、高率の死亡率、もし助かっても重篤な後遺症をのこすことなどが判明し、また原因についてもメチル水銀による中毒症状である、ということまで突きとめられている。「歴史」のうえでは、遺族を含む患者家族による長い裁判の結果、政府による公害の認定(68年)、メチル水銀水俣の海に垂れ流していたチッソに対し責任を認める判決(74年)が出たことにより、全国的に公害の関心が広まり、後世への教訓となった――こういう教科書的説明がつづく。けれども、この本の著者はそのようなことを書いたのではもちろんない。ましてや、公害に対し日本人に警鐘を鳴らすことを主たる目的として書いたのでは更にない。このような書き方が、否定すべき平板で分かり易い歴史を強化するばかりか、《こわれ去っていく》《南九州農漁民の共同体》(p.285「春」)の忘却を早めることだと、著者は分かっている。そこに抗うことのなかに、著者の語りは生まれてくるのだ。
 教訓めいた、あるいは教科書的な歴史への関与を著者は拒否する。なぜなら、闘争的であれ、また挑発的、あるいは批判的であれ、何らかの方法によって関与するということ自体が、反発する対象である歴史そのものの正統性、あるいは強大さを逆説的に認めてしまうからだ。そうした、正統な歴史ってなんだろうか? それは、つまり、国家によって可視化された歩みだ。目に見える制度であり、手で掴める近代にほかならない。――〈やむを得ないじゃないか。発展のためだ。これを無くしてしまったら、日本の社会の進歩は止まってしまうぞ。しょうがなかった。もちろん被害者は可哀想ではあるけれど〉突起点が発生するたび、その突起点を生み出したものの責任の所在が探られるたび、どこからともなくこうした声が聞こえてくる。なるほど。そうなのかもしれない。僕は一応、そう思う。けれども、その声のなかで語られる〈被害者〉の声は? 正統で強大な歴史のなかに消えていく、と、そのどこからともない声によって登場させられる〈被害者〉の、ほんとうの語りはどこに聞こえているんだろうか。
 本書のなかに登場する《わたくし》は、そうした声の「依り代」である。自分自身のことばによってしか語り得ない、しかも歴史のなかではあまりにもか細く、マイナーで、限定的とされてしまう発声によって絞りだされる語りを「依り代」となった《わたくし》は代弁する。

《この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。》(p.147「五月」)

《わたくしの死者たちは、終わらない死へむけてどんどん老いてゆく。そして、木の葉とともに舞い落ちてくる。それは全部わたくしのものである。》(p.290「わが故郷と「会社」の歴史」)

《すこしもこなれない日本資本主義とやらをなんとなくのみくだす。わが下層細民たちの、心の底にある唄をのみくだす。それから、故郷を。
それらはごつごつ咽喉にひっかかる。それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる。それらをいっしょくたにして更に丸ごとのみこみ、それから……
茫々として、わたくし自身が年月と化す》(p.299-300「わが故郷と「会社」の歴史」)

「依り代」となり、水俣のひとびとを《移り住ませ》、《全部わたくしのもの》とし、《心の底にある唄をのみくだす》のだ。そのためには、あえてメチル水銀に汚染されたワカメも食する(p.287「春」)。
 我が身のなかにひとびとを取り込む、ということで僕が思いだすのは、次の場面だった。

《「ですが、どうして自分一個のためだけに生きられますか?」とピエールは熱くなって反問した。「子供は、妹さんは、おとうさんは?」
「だって、それはみんな同じ自分じゃないか、他人じゃないじゃないか」とアンドレイ公爵は言った。》(トルストイ戦争と平和』第二巻二編)

 他者を自らとおなじく愛することは、アガペーではなく強烈なエゴによってこそ成しうる。自他の境を融解するほどに強いエゴがある普遍を具える点については、生命すべてにそれを適応させた宮澤賢治にもおなじことがいえるだろう。
 ――こうした「依り代」としての態度表明はつぎのことばに集約される。

水俣病の死者たちの大部分が、紀元前二世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生きのこっているのではないか。呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ。》(p.74-75「死旗」)

 語るということそのものによって、歴史の、また近代の用意する「しかたなかった」に抗うのだ。また引用した個所においては、戚夫人を出すことによって、抗いの対象に正史をも想定されていることが分かる。
 抵抗は徹底している。オフィシャルに、我が国の歴史の中心核とされている天皇でさえも、本書では正統に位置付けることは許されていない。
 政府がようやく動き出し、水俣病の被害実態の究明に乗り出した68年、患者たちの収容された病院に国会議員の一団が視察にやってきた。《わたくし》と長いつきあいであった患者、坂上ゆき女はそのときのことを語る。

《「大臣はどの人じゃろ、とおもうとるうち頭のカーッとして……。杉原ゆりちゃんにライトをあてて写しにかかったろ、それで、ああ、また、と思うたら、やってしもうた……」
「やってしもうた……」とは水俣病症状の強度の痙攣発作である。のちに彼女は仕方がないというふうに、うっすらと涙をにじませて笑う。
予期していた医師たちに三人がかりでとりおさえられ、鎮静剤の注射を打たれた。肩のあたりや両足首を、いたわり押えられ、注射液を注入されつつ、突如彼女の口から、
「て、ん、のう、へい、か、ばんざい」
という絶叫がでた。》(p.341「てんのうへいかばんざい」)

 この絶叫は議員団の内に不安と、鬼気感を湧き立たせる。彼らが顔を背けた直後、《彼女のうすくふるえている口唇から、めちゃくちゃに調子はずれの『君が代』がうたい出された》その瞬間、国家の用意する近代、歴史というものにヒビが入る音を、たしかに僕は聴いた。

 笙野頼子の『金毘羅』も、この「依り代」による語り、語りによる歴史への抵抗を物語の核とした作品である。日本に渡来したインドの神であった金毘羅が、神仏融合のなかで権現とされて庶民信仰の対象となる経緯は、日本の近代化のなかで推進された国家神道という正統な歴史のなかでは、抹消されてしまっている。いや、言及されているとしても、正統な日本の歴史のマイナーな事象といった程度だ。『金毘羅』の主人公《私》は、そのマイナーこそが抗いの武器であるとする。マイナーとは、この小説いうところの《極私的》を意味し、また、オーソドックスに対抗する《アバン・ポップ》の源泉であり、笙野頼子という作家の拠って立つ文学そのものでもある。
 ここで笙野頼子大塚英志の論争に言及はしない。ただ重要なのはこの作者にとっての文学というものが、正統への反抗であり、近代という男じみた時間軸への闘争であり、戦後空間の《ろりりべ》が支配する気持ち悪さへの呪詛である点だろう。呪詛はただの恨み言ではない。罵りということばが、その語源に「イノル(祈る)」を内包しているように、呪詛もまた、語ることの力を信じ、行使する点にこそ意味がある。
 そのための「依り代」に金毘羅をつかう、のであれば、それは普通なのだけれど、この作者のユニークなところは、作中《私》であった女の子は生まれてすぐに死に、代わりに海から上陸した金毘羅が現在の小説家である《私》なのだ、と書くのだ。
 ほんとうは金毘羅である《私》は猛烈な闘いの人生を歩む。というか、歩みの語りによって自らの人生を形成する。歩みの語り、これを表現するように本書の特徴的な文体として、文末に「で」をかなり頻繁に置く。さらにその「で」の後に「、」を置き、それではあきたらずに「――」をつづけたりする。読んだひとは、この文体の意図がすぐに分かるだろう。性急に、まだまだ語り足りない、語り終えたくない、というこの歩みこそが、僕が上で書いた、本作にとっての語りなのである。
 ところで――本作の冒頭はこのようにはじまる。

《一九五六年三月十六日深夜、私は仮死状態で生まれました。産声を挙げたのは次の日の朝でした。しかしそういう言い方だけだと判らない事実が実は、そこに隠れていました。正確に言うと、――。》(「壱」)

 この深夜に仮死状態に生まれた《私》に、金毘羅が海から上陸して乗り移る。その海は三重県四日市。金毘羅の《私》に見えた四日市海上の眺めは《工場のコンクリートや鉄板に囲まれた》ものだった。四日市ぜんそくが社会問題化するのは《一九五六》より数年後のことだ。

〈地方〉ということばを僕は好まない。というより、このことばが用いられる文脈や用いる者の無意識下にある意図に敏感にならざるを得ない。それは過敏だろうか。いや、そうじゃない。この〈地方〉ということばひとつ取っても、正統な歴史というものの持つ声なき者の声をかき消す強大さ、が裏打ちされているのだから。この敏感さを証明するには、逆説が逆説ならざるを得ない、本来歴史はかくかくこのように進んでいるわけで、式の時間軸そのものを疑うことが必要となってくると僕は思う。どういうことかというと、そう、どうして公害は足尾(栃木・群馬)や水俣(熊本)や阿賀野川(新潟)や四日市(三重)や神通川(富山)で発生したのか。原子爆弾は長崎や広島に投下されたのか。原発は福島に置かれていたのか。歴史のメルクマールはどうして東京という中心ではなく周縁の土地で起こるのか。にもかかわらず日本という国家の繁栄は東京の観点によってしか語られないのか。これらの問いかけを、疑いなき正統な歴史は無視する。なぜなら、だって起こったことだからしかたがないじゃないか、であるから。そこへの疑問はすべて逆説として見出され、あくまで歴史そのものの流れは「しかたがなかった」過去の順当な経過に委ねられてしまう。だがこの事実はある一点を明らかにすると僕は思う、つまり挙げた土地がすべて〈地方〉と呼ばれていることに目を向ければ、それら周縁の土地が中心である東京に向けて発展する国民国家のモデルを基礎とした近代――つまりは本書の作者が凝視する対象の本陣が見えてくるはずだ。
 各地の公害の発生と、国内の近代化の流れが同一線上にあることは明白だ。だがより仔細にその線を見つめると、人間が見えてくる。生活、社会、経済のうえの人間のうごめきが見えてくる。水俣に生まれた著者はその風土を細やかで美麗な筆致によってすくいとる。四季のなかで変化し色も匂いも味も変える不知火海を描きだす。だがその美しい風土は同時に《こわれ去っていく》《南九州農漁民の共同体》でもある。重工業を重視し、発展とはすなわち工業製品の国外輸出によって得た利益の一億二千万人への分配である、というのが「戦後という歴史」の主奏であった。利益の分配は、金銭のみに限らないで、国内あらゆる場所の農漁山村への企業・工場の誘致、上下水道、電気、ガスの整備、道の舗装、職業の斡旋といった多くのことを指す。人間に利益を分配するためには効率的でなければならない。80年代に飽和するまでつづいたこの主奏は、しかし人間不在の独立した運動ともなりがちだったのだ。つまるところ人間不在とは責任の放棄にほかならない。経済と発展とが効率によって結びつけられたとき、そこに人が生き、生を営む場所を過疎ともすれば汚染もする。著者が《こわれ去っていく》《南九州農漁民の共同体》と書くとき、その原因は必ずしも水俣の海の汚染だけを意味しない、執筆当時から先細りだった農業・漁業と、発展を遂げる都市部の工業にも目を向ける必要がある。血管のように伸び広がった鉄路に高速道路が、移動・輸送の効率化を大義名分としていたこと、その移動・輸送は実質的に〈地方〉から都市へと物と若者を一方的に運ぶモノ・レール(単線的)なものだったということに目を向ける必要があるのだ。そしてこの共同体の崩壊は主奏のやかましさの前では「しかたのないこと」にされてしまう。本書でも、こうした運動によって巻き起こされる崩壊の軋みはそこかしこに響いている。あきらかな因果関係が示されていながらも、水俣の雇用と財政を担うチッソをまえにして、わずか数百人の漁師は何らの政治的力学を発揮しえない。しかもその数百人の漁師よりも更に少ない遺族と患者たちの互助会の声となると……。本書の発刊は69年である。60〜70年代の政治的雰囲気がよく言われるように、第三世界や社会的マイノリティによる異議申し立ての時代だった、という見立ては現代でもただしい。そうした時代の空気のなかに置かれた本書は、しかし、マジョリティのやかましい主奏に対抗するマイノリティの、やはりやかましシュプレヒコールのなかでかき消される声を《のみこみ》、《心の底にある唄を》歌うのである。
 本書が歌った声とは? これを最後の締めくくりとして引用することにする。そう、本来的には心ある人間にとって、この引用だけで本書の伝えるすべてが分かるはずだ。

《――うちは、こげん体になってしもうてから、いっそうじいちゃん(夫のこと)がもぞかしい(いとしい)とばい。見舞にいただくもんなみんな、じいちゃんにやると。うちは口も震ゆるけん、こぼれて食べられんもん。そっでじいちゃんにあげると。じいちゃんに世話になるもね。うちゃ、今のじいちゃんの後入れに嫁に来たとばい、天草から。》(p.150「春」)

《わしも長か命じゃござっせん。長か命じゃなかが、わが命惜しむわけじゃなかが、杢がためにゃ生きとろうごてござす。いんね、でくればあねさん、罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持って生まれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴に、わしどもが後から入って、抱いてやろうごたるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん。》(p.207「九竜権現さま」)
《杢よい。お前がひとくちでもものがいえれば、爺やんが胸も、ちっとは晴るって。いえんもんかのい――ひとくちでも。》(p.209)

《「やめようやめよう。なんの親でもよかたいなあ。鳥じゃろと草じゃろと。うちはゆりの親でさえあれば、なんの親にでもあってよか。なあとうちゃん、さっきあんた神さんのことをいうたばってん、神さんはこの世に邪魔になる人間ば創んなったろか。ゆりはもしかしてこの世の邪魔になっとる人間じゃなかろうか」》(p.271-272「草の親」)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

J・ケルアック『オン・ザ・ロード』

 河出文庫で読む。本書は「路上」という題の方が有名?
 主人公の〈ぼく〉ことサル・パラダイスと、〈路上の男〉(p.9)ディーンとのドンチャン騒ぎの彷徨。とにかく面白い内容だったから、印象が薄れないうちにひとつ、感想を書いてみよう。放埓に、散文的に。
 本書は全部で5部に章分けされており(もっとも、最後の第5部はほとんど断片というべき短さ)、それぞれの章で〈ぼく〉とディーンによるアメリカ横断が描かれている。だから、一部ごとに見えてくるアメリカの街、村、路上の景色は変わる。寒い寒いワイオミング州の星空(第1部)、永遠のような流れの河を持つミシシッピ州(第2部)、デンヴァーの広い広い平原(第3部)、そしてテキサス州を突っ切ってたどり着く〈魔法の地〉(p.441)メキシコ(第4部)……この道中を〈ぼく〉とディーンは、時に酒を飲みすぎ、時に保安官にしぼられ、時に女とたっぷり楽しみ、時に音楽の熱狂に狂い、時にクスリでハイになる。それだけの、行き当たりばったりの、ぶつ切れでありながら、たっぷりと時間をかけて刻んでいく旅、ほとんど目標といえるものもないような、長大な暇つぶしの旅は、しかし暇つぶし以上の魅力と、自由に満ち満ちた物語だと僕は読みつつ思った。
 なにが魅力的か、なにが自由に満ちているのか? というか、魅力とはなにか、自由とはなにか?
 それは、本書を語ると同時に、アメリカの精神の核心をも語ることじゃないだろうか。そして、それをあますところなく語ったのがこの『オン・ザ・ロード』であったのだろう。
 だから、この感想は本書についてのものであると同時に、アメリカについてのメモ、ということになる。
 まず、この『オン・ザ・ロード』にはふたつの面があるように思う。ひとつは、ディーンの人生。さっきも引用したように、この男は〈路上の男〉だ。父親は放浪者、母親は顔も見たことがない、彼にとって生きるということは定住を意味しない。なんでも欲しいものが手に入る(盗むことを厭わなければ)路上こそが彼の人生だ。そのディーンに共鳴するのが〈ぼく〉であり、作品のもうひとつの面である〈ぼく〉によって代弁されるアメリカの精神が(ディーンを通して)語られる。
〈ぼく〉にとって代弁される精神って? それは、以下の文章にあらわれているんじゃないだろうか。

《ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ。》(p.17)

 この〈かけがえのない人間〉を「おれも欲しいぜ」と思えるような、あるいは「おれのことだ」と若者がいるかどうか、アメリカにはきっと居るだろう。居るのだけれど、家の片隅で、あるいは町の暗がりにひそんでいた彼らを路上に繰りだせと高らかに呼び掛けたのが本書なのだろうと思う。
 これはふだんアメリカ文学にほとんど親しみのない僕の勝手な感想に過ぎないのだけれど、多くの点で本書とヨーロッパの、ことに18世紀から19世紀の文学とは趣きの異なった感覚がつよく打ち出されているように思った。たとえば、皮膚感覚。登場人物たちはみんな路上に出る。彼らは自動車のシートに、あるいはピックアップ・トレーラーの荷台に寝っ転がり、風を受け、汗をかく。たのしいぜ! 〈いいね!〉〈いいぞ!〉〈ひゃっほお!〉徹頭徹尾、経験に裏打ちされた感情が描かれる。思い悩み、あるいは想像のなかだけで元気になったり、浮かれたりすることはなく、ひたすらにからだによって触れられる物事、人物を通して彼らというものは把握される。
 この皮膚感覚、というか経験への絶対的な信頼ともいうべき強調は、およそヨーロッパの頭脳によって展開される小説とはちがう印象を受けたのだった。そしてこの経験の強調という皮膚感覚がもたらすものは、もっと知りたい、なにもかもを味わいたいという好奇心へのいざないじゃないだろうか? そのいざないが、本書に描かれる路上へのエンジンとなっている、そう、僕は思った。
また、すべてを味わいたいという好奇心には当然だけれども終わりがない。まだまだ先へ行きたい、のだけれど、その先というものへはいつまで経っても辿りつけないのだ。これも路上の魅力にはちがいない。だけれども、この終わりのなさ、っていうものがあるが故に、むしろ本書には終わりということばが頻出する。すべてが終わりだ。なにもかもが崩れていくという崩壊感覚が描かれる。

《なにもかもが壊れはじめていた。》(p.159)
《なにもかもがごちゃごちゃになって崩れはじめていた。》(p.200)
《こいつはぜったい立ちどまらない、あらゆる方向へ行く、ぜんぶが全開だ、時間というものがわかっている、前後に揺れる(ロック)ことしかしない。いいか、こいつが最終地(ジ・エンド)だ!》(p.203)
《最後の晩、ディーンはカッとなってダウンタウンのどこかからメリールウを見つけてくると、三人で車に乗り込み、湾を渡ってはるばるリッチモンドに行き、石油の臭いのする一角にある黒人のジャズ酒場をつぎつぎとのぞいた。メリールウがなかに入って座ろうとすると、その椅子を黒人の男がさっと引っぱった。彼女がトイレに行くと、女の子たちがからんできた。ぼくもからまれた。ディーンはやたら汗をかいていた。終わり(ジ・エンド)だ。出ていきたかった。》(p.284-285)

 この崩壊感覚も、引用した個所の多くがそうであるように、歌や酒場のドンチャン騒ぎのなかで押し出されることば、だという点で、皮膚によって感覚されるものだと言えはしないだろうか。ここにおもしろみを僕は感じる。終わり、崩壊なんていう時にあってもなお、〈ぼく〉やディーンはそれを経験するという能動性に、なんというか、アメリカのタフを感じる。
 終わり、崩壊の感覚というものは、では一体なんなのか? というと、つまるところ次のことばへの架け橋に過ぎないのではないかと思う。そう、《いいんだよ、サル、気にすんなって。万事、パーフェクト。順調だ》(p.314)という明るいことばへの架け橋なんじゃないか。
 本書に描かれるアメリカは、1949年から1950年が舞台となっている。この時代、というものに目を向けるならば、1930年代のマシン・エイジを過去のものにしてしまうほどの勢いと量をもって、世の中に新車と中古車を溢れかえさせた、国民と自動車の幸福な蜜月期間だった。自動車があれば夏休みを利用して高校生でも、または盗んでしまえば放浪者でも大陸のどこへだって行くことができる。ただし、ガソリン、宿、食事はどうしたって必要だ。なぜなら乗るのがガソリンを必要としる自動車だし、運転するのもすぐにへたばってしまう人間なのだから。そのため、自動車で大陸を疾駆する〈ぼく〉とディーンも、止むをえざるそうした事情によって路上から各州の都市に留まる。そこで酒を飲みクスリをやり女を抱き、死んだように眠るのである。だけど、その滞在は倦怠を呼び込む。だからこそ、〈ぼく〉とディーンは幾度も崩壊感覚を口にするのだろう。そして、すぐ次。次の街へ、次の興奮へと向かうために終わりのない路上へ彼らは戻っていく。

 第1部、第2部で〈ぼく〉とディーンの繰り広げてきた旅路は、第3部になるとガラリとその色調を変える。路上での旅が先述したように明るい色調のものであるとすれば、〈ぼく〉とディーンの関係に重点を置く個所ではほんのひと匙ほどの(けれどもピリリとする)寂しさが描かれる。第3部は、その寂しさを告げるような展開ではじまる。ディーンはカミールという女と暮らしている。そう、定住してしまっているのだ。そこで描かれるディーンの惨めさといったら! まさに満身創痍としか言いようがない。が、結局〈ぼく〉は彼を家から連れ出し、ふたたびのドンチャン騒ぎへと連れ出す。そして旧友たちとの再会。けれども、かつての友人たちの、ディーンへの目は冷たい。すでに職や家や家族を得ている成長した友人たちからすれば、ディーンは路上の友人であり、狂ったロクデナシなのだ。彼とつるむ連中は、若い時こそ彼に惹かれ、最高の奴だと思う。だけど、歳を取れば彼らはディーンを疎んじる。彼らはおとなになって、街に、家に収まってしまう。ロクデナシ少年のディーンはだから、《世間に属しているが、できることはなにもない》(p.301)人間として放逐される。〈ぼく〉はディーンの友人たちから疎外される、その惨めな様に打ちひしがれ、一緒にイタリアに旅行しよう、なにもかも忘れて豪遊しようと約束する(もっとも、この計画は実現しない)。だけど、この悲話は骨の髄まで暗くはない。〈ぼく〉とディーンとの間で共有された《しかし、気にしない、道こそ命だから》(p.340)という価値観には、悩みや答えを放棄せずに楽観しつつ、かつ邁進する明るさがある。
 路上とは彼らふたりにとり、世界を理解する糸口ともなっている。そこは古いヨーロッパではなく新大陸なのだ。しかもその新しい大陸には遥かに古代からの不変の価値観を持つ人々が居るということ。ネイティヴ・アメリカンたち、インカ、アステカの末裔たち。彼らふたりの、イタリア旅行の計画が頓挫して、代わりにメキシコ行きを企画し、それがやすやすと実行される(第4部)のは、示唆的だと思った。
 それから、作中に登場する音楽についても触れておかねばならない。ディーンは熱狂的なジャズ好きとして描かれる。〈ぼく〉もジャズに対して憧れのようなものを抱いている。そこに流れる、黒人というものへの憧憬といっていいかも知れない。

ライラックの香りがする夜、筋肉という筋肉が痛いなか、デンヴァーの黒人地区であるウェルトン通りの二十七丁目あたりの明かりのなかを歩いていると、黒人だったらいいのになあ、という気持ちになってきて、白人の世界がくれるものは、どんなにベストなものでもエクスタシーが得られない、元気になれない、楽しくない、わくわくできない、闇がない、音楽がない、夜が足りない、と思えた。》(p.287)

 ジャズ、マンボのリズムに〈ぼく〉とディーンは熱狂する。そして黒人、メキシコ人へのナイーヴなまでの憧憬。《マンボのビートはコンガのビートで、出生地はコンゴ、すなわちアフリカの、すなわち世界の川から来た。まさに世界のビートだ。》(p.460)と作者は書く。不変の価値観っていうのは、つまりこの始原(アルケー)へのまなざしと無関係じゃないだろう。またその無関係ではない点で、自由と無垢(だって子供だからね)の象徴を担うディーンの造形の必然性も、ここにあるんじゃないかと僕は思う。
 さて、くどくどと書いたけれど、この自由を求める旅というもので思いだした作品がある。ゴンブローヴィッチの『フェルディドゥルケ』だ。また、旅を「彷徨う」とするなら、カフカの『城』も。これらの彷徨する青年を描いた長編二篇と本作は、その明るさのコントラストにおいて決定的に異なっている。本作に遍満する万事順調という世界は、二篇の中にはついぞ見られない。それは二篇が自由を求める、しかし得られない苦の世界であるのに対し、得られない、それじゃあ次の旅だ、という提示をしている点にこそ本作の最大の特徴があるからだろう。

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

新書二冊

 なにか思うところあったというわけではないけど、このところ「ことば」に関した新書を二冊読んだのでメモをしておく。
土橋寛『日本語に探る古代信仰 フェティシズムから神道まで』(中公新書
 90年発行。著者は明治生まれで、80歳でこの本を書き下ろしで刊行したという。なおまた、中公新書の発行者が嶋中鵬二というのも時代を感じさせる。
 副題にあるフェティシズムは俗語的に用いられている性的嗜好の意ではなく、18世紀の「百科全書派」であったド・ブロスの定義した「呪物崇拝」を指す。
 本書は、この「呪物崇拝」、「アニミズム(霊魂崇拝)」、さらに原始宗教、現在的な宗教のそれぞれの歴史的役割を踏まえつつ、古代の日本で用いられていた日本語を分析するという趣旨のもの。
 分析は、たとえば「タマ」「タマフリ」などのことばについて、御霊信仰に由来すると学界では誤解されているが、それとは区別される霊力に関した語であったという記述(-p.9)によってなされていく。
垂仁天皇の皇子ホムツワケの命は、八拳鬚の生えるまで物を言うことができなかった(…)その後皇子は大空を飛ぶ鵠(白鳥)を見て、「是、何物ぞ」と始めて言葉を発した。》(-p.60)
 この引用では鳥を「見る」、という行為そのものについての論考がなされている。「山見」や「花見」といった「見る」行為それ自体が、鳥や山や花の持つ霊力を見る者に移すことができるものとされてきたという。そうした見る行為を詠った歌などを引用しつつ、古代の日本人にとって類感呪術フレイザー)的な感性が身近なものだったのだ、と著者は言う。あるいは、「見る」だけではなく「見られる」ことにも(世界各地に類似の逸話があるように)呪術的効果があったという。江戸時代、歌舞伎役者が客席を睥睨・一瞥して睨まれた方の客は一年間幸せで居られるという民間信仰があった。(-p.74)
 それはそうと、上に引用したホムツワケの命の文章って、大江健三郎と息子の光くんのエピソードと一緒だなと思った。「クイナ、です」
「ことば」への語源、語義について記述したものでは、古代の日本のひとびとはヒラメクもの、ハタメクもの、フルわれるものにパワーを感じていたと著者は述べている。注連縄に付けられた御幣も風で揺れることに意味がある(-p.42)という。そもそもヒラメクとは、「霊(ひ)ル」からの派生語とか。また、「祈る」はもともと「イ-ノル」であり、「ノロフ(呪う)」と同根の言葉だった(-p.200)。さらに「ノル」は「罵(ノ)ル」を語源とし、呪詛的な強制・命令を意味していた。などである。
 日文を大学で専攻しておきながら、こうした古語に関した由来譚、解釈をまるで知らなかった。ために、著者の述べることに疑問も浮かばず、ひたすら「そうなんだ」と思いながらの読書になってしまった。もちろん、こうした唯々諾々の読書もたまにならいいのだけど。
井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書
 今度は古語ではなく、現代日本人に使われている「言葉づかい」を分析した本。《ことばは生き物ともいわれ、つねに変わる。「万物は流転する」「行く川の流れのごとく」とかいわれるが、ことばも同様である。現代の、目前で起きているとれとれの現象としての言語変化が、まず若い人に現れ、世代差として目に映っているのだ。》(-p.199)
 この着眼点から見、そして分析した言語論という一冊だった。
 この本もまた、門外漢的な位置の読書に終始。ただ、本のなかで述べられている「最近のイントネーション」や「新方言」、「若者ことば」の一部は自分も無意識に使っていたために、新鮮なおどろきも多かった。まず「新方言」については、以下がそのおどろきの部分。
《また否定のときに、九州などでは昔は「着ん」「見ん」と言っていたが、新たに若者の間に「着らん」「見らん」が普及している》(-p.28)
 意識もしていなかったが、いわれてみれば僕も実家や同郷の友人のまえなどで「ら」を付けて言うときがある。
 他だと、これはいま住んでいる地元横浜の標準的な語尾である「じゃん」について。
「〜じゃん」という言い方はいわゆる「浜言葉」と呼ばれ、横浜由来の新しいことばだと思ってたけど、本書の説明では関西で江戸時代末期に用いられていた「〜やん」が静岡まで伝播、「〜じゃん」へと転訛して横浜に伝えられたとか。(-p.36)
 また「うざったい/うざい」は多摩地区から東京全域に広まった(-p.86)とか、東日本に昔からあったいわゆる「べーべー言葉」にも、若者を中心にして転訛・変容がみられる(-p.120)という。
 そして本書が主眼としているのはこうした新語の由来、変化を通して、日本語ということばは、時々刻々と変わるものであり、またそれは「みだれ」や「崩壊」ではなく、ちゃんとした合理性があるというだろう。
《若者の間に新しい言い方が見つかったときに、ことばが変わった理由を考えると、ちゃんと言語体系上の理由が見つかる。歴史言語学であげてきたような、単純化・明晰化、労力の節約(省エネ)とか活用体系の整備などが、本書のあちこちで指摘された。ことばが変化したときにその理由を探ると、ことばそのもの、つまり言語体系に関して、変化したあとのほうが合理的になるような理由が、探せばちゃんと見つかるのである。》(-p.197)
 それから、上記のような主眼の他に、本書は「標準語」と「新方言」の相互にあたえる影響、東京とその周縁の文化影響の関係を見るうえで示唆するところが多いのではないかと思った。
 また地域差の他に、男女のことばへの関わりについて、《ことばが変化するプロセスで、若い女性が先導することがよくある》(-p.201)という一文があったけれど、これは造語・新語についてもおなじことがいえる。たしか戦後についての造語・流行語は(メディア主導のものを除けば)多くが女性によると書いているひとが居たはずだけど、たしか米川明彦の『現代若者ことば考』だったか。

日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで (中公新書)

日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで (中公新書)

日本語ウォッチング (岩波新書)

日本語ウォッチング (岩波新書)

現代若者ことば考 (丸善ライブラリー)

現代若者ことば考 (丸善ライブラリー)

「群像」「新潮」「文学界」その2

 また文芸誌の中から読んだものの感想を軽くメモ程度に。
「文学界」2月号に載っていた〝クマさん〟こと篠原勝之の随想「ギッチョン籠と深沢七郎親方」を読んだ。陳腐な言い方だけど味のある文章。深沢七郎のラブミー牧場での体験を振り返るという内容の物語を、飾らない、多少そっけのない書き方で描きだしていた。
「群像」2月号では、「12星座小説集」のうちまだ読んでいなかった小説を三篇ほど。
橋本治の「安政元年の牡羊座」は、《これは、いい加減な話である》で始まる歴史小説、なんだけども、冒頭から言ってるように全体《いい加減》のユーモアの趣きを持つ短篇。自分の星座を我が天命とする牡羊座の侍が柿の栽培に精出す話で、妻は蟹座。柿・蟹ってことは猿蟹合戦? なのにタイトルは大江健三郎? いい加減だなあと思った。
原田ひ香「クラシックカー」、これは面白かった。なんでかというと知り合いに登場人物たちとほとんど同じ修羅場をくぐったひとたちが居たから。話自体はいかにもありそうな浮気男の放言に振り回されたあげくに棄てられた「元カノ」ふたりのかき口説き。男が自分の星座を、ふたりの女それぞれに偽っているのが良い。さりげなく書かれているカフェの情景、職場や中古車趣味の説明も、さりげなく書かれているがゆえにかえって話の中に深さを刻んでいる。
藤野可織「美人は気合い」は、「命の素」を抱えた人工知能が宇宙を漂う話。美についての思弁的な記述が多く、それが宇宙をさまよっている状況、またその状況に傍目にはグロテスクなものが潜められているのと相まって、奇妙な世界観を出していると思った。力を抜いたようなタイトルは、その埴谷雄高みたいな世界観への作者なりの相対化か?
「新潮」2月号では、堀江敏幸「数えられない言葉」、橋本治「海と陸」の二篇を読んだ。
堀江敏幸「数えられない言葉」はお固く言えば「エクリチュール」や「翻訳」について示唆に富んだ小説だという感想。でも面白いと思ったのはそういう所以上に、登場人物の過去・現在の来歴が明示されてないところだった。彼らにどんな人生があったのか、そこを想像しながら読む楽しみがある小説だった。もっとも、これは堀江の小説をほとんど読んでいないからこその感想という気もしている。だから、またこの作家の作品を読みこんでいけば上記の感想は修正されるのかもしれない。
橋本治「海と陸」、被災地にボランティアに行った女と、《無能》なスケベ男の不思議な対話の小説。《若い二人は地続きの現実を歩いて、その内に現実の途切れたところに行き当たった》《女は強い。あるのかないのか分からない小舟に乗り込む夢を見ていられる》という文章が素敵に思った。また、作中で語られる《無能》ということばの意味については、おなじ「新潮」に載ってる加藤典洋の「有限性の方へ」の《無-責任の世界》と併せて考えたら、面白いだろうなとも、ふと思った。

 ブックオフで以下の本を購入した。

プリーモ・レーヴィアウシュヴィッツは終わらない』(朝日新聞出版)
阿部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書
下村純一『インテリアの近代』(同)
松尾弌之『アメリカン・ヒーロー』(同)
川上和久『情報操作のトリック』(同)
土橋寛『日本語に探る古代信仰』(中公新書
井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書

「群像」「新潮」「文学界」

「群像」「新潮」「文学界」の2月号をすこしずつ読んでいる。「新潮」は、ほんとうは新年号を買いたかったのだけど、つい買わずじまいになってしまった。店頭からすぐに消える本は思い切りが大事ですね。
http://gunzo.kodansha.co.jp/
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/

 目次はそれぞれ公式サイトを見ていただくとして、以下は散漫に読んだものの感想。

「群像」は「12星座小説集」という特集をしている。そのなかにある町田康の短篇を読みたさに買ったので、さっそく読んだ。
「山羊経」という題の短篇で、町田康が繰り返しえらぶ「彷徨」と、「絶対者の指令」が今作にも登場する。その意味はべつの長編のときにまた考えるとして、今作でのおもしろさは例えば以下のような部分だと思った。

《道理がこちらにあるのは明白で、絶対に返ってくるに決まっている。もし返らぬなどということがあったら、向こう側もそして間に入った義行もただでは済まず、間違いなく世の中から制裁を受ける。それはいったいどんなにか恐ろしい制裁なのだろうか。具体的な想像をしようとしたとき、チュンチュラという鳥の鳴き声が聞こえた。再び窓の外を見ると黄灰色の鳥がテラスの棚にとまっていて丸い目でこちらをみると僅かに頭を下げるような仕草をしてから飛び立ち、木の枝と枝の間を飛んで曇った空のもの凄く高いところまで飛んでいってみえなくなった。人間のなかにもあんな丸い目をした者がある。かつて朝の常磐線で見たことがある。全員が恐怖して絶対にそっちを。
 そのとき、突然、草木染めか泥染め、をしたらどうだろうか、と思った。》


 ひとつの想念からまた別の想念、情景から過去、また別の情景へと、自由きままに描く筆致は、定住を否応なしに不可能にする町田康小説の主人公の、彷徨するさまによく合っている。小説では「義行」なる者がどんな道理にもとることをしたのか、彼はどう制裁を受けるのかなどは明示されない。また主人公の思いついた《草木染めか泥染め》も、できないままに終わってしまう。この不貫徹もまた、この作者のよく取り上げるモティーフだろう。そうした、さまざまな形で作者の取り上げるテーマ、モティーフが文章を通じてよく味わえる短篇だった。
「群像」では他に筒井康隆の「創作の極意と掟」の第二回が載っている。これは抜群におもしろく、前号から読んでおけばよかったと後悔した。

「新潮」には、新発見された夏目漱石の新聞に寄稿した原稿と、それを題材とした黒川創の小説「暗殺者たち」が掲載されている。また、加藤典洋の新連載の評論「有限性の方へ」が載っている。
 黒川創、というひとは未知であったのだけど、今回のこの創作だけを読んだかぎりでは、ずいぶん歴史的背景、人的つながり、社会状況などを勉強している、といった印象を受けた。ただ、そのうえでの漱石の原稿から進展させた「暗殺者たち」が、どのような意味合いを持つものなのか、についてはよく把握できなかった。極端な話、現代にある時代的な閉塞感、空気感を前提に、安重根幸徳秋水ドストエフスキーといった社会主義者やテロリストを呼び出して迎合しているような印象を抱かざるをえなかった。これが創作である必要は? また文芸誌に載る意味は? という点についての疑問も浮かんだのだけど、これは判断保留。
 なお、全文引用されている漱石の新発見原稿「韓満所感」は、産経新聞が「漱石のアジア観がうかがえる」というようなことを言っていたけど、そこまで持ち上げるものでもないかな、という感想。
「有限性の方へ」は、3・11後の日本社会像の見立てを、まず提示しただけで終わった印象。その社会像とは、作者いわく「有限性の世界」「無-責任の世界」とのこと。見えなかった未来、考えなかった資源やその責任が、じつは(当たり前だけど)存在していたことが分かったのが、3・11後であるという意味が「有限性の世界」で、それらの責任をまえにして、茫然と立ち尽くしてしまったのが「無-責任の世界」が現前したことを示すのだという。これも「暗殺者たち」に通じるのだけれども、どう文芸にこの世界像・社会像がプラグ・インされるか。次号を読まないと分からない。

「文学界」は、西村賢太の新作、高澤秀次大西巨人論、千葉一幹というひとの太宰論を読んだ。
 西村賢太の「破鏡前夜」は、特筆すべき点の見当たらない、いつもの彼らしい、という感想の――しかし、「私小説家」としてはいつもの彼らしい、と言わせてなんぼなのでしょう――ものだった。終焉部で思わず笑ってしまった。放屁で終わる短篇をはじめて読んだのだった。
 すごいのは高澤秀次というひとの『「俗情との結託」再考――大西巨人野間宏」だった。野間を完膚なきまでに批判した評論「俗情との結託」で用いられた論法で以て、大西の作品を再批判するという強烈な書き方。そして、現代唯一生き残った戦後派として、大西が無邪気に原発賛成を唱えていることによって、戦後派という生き物としての文学ジャンルが歴史カテゴリーに葬られたことを断言して終わる。これは正直な話、まだ整理がつかない代物で、読み終わって数日経つけど、まだ考えている最中。
 千葉一幹の『「女」は文学になにをもたらしたのか――太宰治における言語的異性装趣味と文学の意味』は、誠実な態度で書かれた、過誤の限りなくすくない論文。高澤の論とは反対に、劇薬のごとき文章は登場せず、精緻に論考を進めて行くスタイルのものだった。そんな中で良いな、と思ったのは皮膚・痒みへの言及だった。これはいつか改めて考えたいテーマだと思った。

「トルストイ遺稿集」

 春秋社が大正年間に出した日本最初の『トルストイ全集』の12巻には、生前には発表されなかった「悪魔」や「神父セルギイ」や「ハジ・ムラート」、その他多くの未完作品が収録されている。僕はそれらの作品のほとんどを文学全集などに付せられた年譜や、あるいはロマン・ロランの紹介によって名前だけ知っているにすぎなかった。福岡の古書店で、100円で投げ売りされている、函の毀れかけた本書を発見したときには、だから、一も二もなく飛びついたのだった。
 以下、幾つかの作品の感想を。
 チェチェンの、ロシア帝国に服さなかった山岳民族の英雄に題を採った「ハジ・ムラート」は、美事としかいいようのない展開の作品だった。部族間の駆け引きによって、家族を殺され、あるいは幽閉されてしまった英雄ハジ・ムラートは自身も故郷の土地を追われながら、かつて争ったロシア帝国に一時的に降伏することで、援助をひきだして捲土重来を目論んでいた。ロシアは彼がほんとうに降伏するのか、どうか見定めかねている。もしもほんとうにロシアに帰属すると言うのなら、彼をチェチェンを平らげるための尖兵として利用できる、しかし、過去にもハジ・ムラートには一度裏切られているが、今度は……こういった、それぞれの土地の人間が、打算や謀略を張り巡らせながら、物語のなかをうごきまわる。いいな、と思ったのは、まるで映画のカメラみたいにある登場人物から別の人物へと視点を変えるその筆の上手さ。複数の登場人物の心理の交錯の上手さだった。また、亡き母親が歌っていた唄を思いだすハジ・ムラートの最期と、勝者の凱歌をあげる敵方という冷厳な対比も良かった。
 次に気に入った作品は「贋利札」、これは素晴らしい作品だった。
 利札とは、小切手みたいなものらしい。ほんの遊びのために、軽い気持ちでその利札を贋造した中学生。彼はほんとうに悪意などこれっぽちもなかった。けれど、贋利札はひとからひとへと渡っていきながら、悪徳と、堕落に巻き込んでいく。二部構成の作品で、第一部では贋利札が悪をばらまいていく様がえがかれる。ある者は騙され、ある者は騙す。騙された方は別の人間を騙し、騙した方はこの世はしょせん嘘をつきとおした者が得をするのだと知る。それが殺人であっても、バレないかぎりどんどんやろう! そういうわけで、殺人を犯す者まで現れるに至る。けれども、キリスト教徒らしい生き方を送っていたある老婆を殺してしまった時から、この悪の連鎖が停まる。そして、その悪の連鎖の反対に、悔いと更生の物語である第二部が置かれる……
 坂を転がる球が、加速度を増していくように悪がひろがっていくさまが、「ハジ・ムラート」同様じつに上手い筆で描かれる。そしてその反対に、善の波及という第二部が(ここが大事だと僕は思った)あっさりと――まるで簡単なことのように――描かれているのだ。更生の物語を、簡単に描くということの困難を、老トルストイはいともあっさりと描いてしまう。ここに、評価の別れ道があることは言うまでもないだろう。つまり、宗教家トルストイを見るか、卓越した物語作家トルストイを見るか。まるで波のように、静かな、しかもまるで度外れた大きさをともなったテーマの反復-伸長は、いかにも〈ああ、小説を読んでる!〉と思わせるものだった。
 最後に短篇「壺のアリョーシャ」、これはチェホフ風の奇麗な作品といった感想だった。奇麗な短篇はどうにも、どう良いのか説明しがたい。だから、そのままを抜き出す形で概略を書く。
 すこし抜けていて、だれにでも笑顔以外を見せたことのないような、優しい、疲れ知らずの、貧しい農民アリョーシャが町の商人の下で奉公をしている。おなじくはたらく、小間使いの少女と彼は恋に落ちるのだけれど、両親や商人一家はその恋を許さない。アリョーシャは親から諭され、その恋を諦める。《ええだ、思い切るだよ》と彼は親の前で言い、それを立ち聴きしてしまっていた、小間使いの女にもおなじく告げる。

《『俺達の事あこうならずにはいねぇだよ、聞いていたのか? 親父は怒っていたろう、駄目だよ。』
 彼女は黙って、前垂れの中で泣き出した。
 アリョーシャはチェッと舌打をした。
『どうして聞かねえんだ。どうしたって思い切らなきゃなんねえ。』
 晩になって、商人の妻は鎧戸を閉める為に彼を呼んだ。
『何うしたえ、お父っさんの言う事を聞いて、馬鹿な事を思い切ったかえ?』と彼に訊いた。
『どうしたって思い切らなきゃなりません。』アリョーシャはこう言って笑い出し、そしてそこで泣き出した。》

 その後、アリョーシャは、あっという間に死ぬ。原稿用紙に換算すると、わずか2枚程度の文章だろう。彼は、なにかを憎んだり惜しんだりせず、また泣きごとも口にしないで小間使いの少女に感謝のことばを述べ、そして《彼は何かに驚き、身を伸ばして、死んだ。》これでおしまいである。

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』

 岩波文庫で今年の十月に出たばかりの作品。訳者は土田哲というひと。
 とにかく不思議な小説だった。唯説明するよりも、ぜひご一読を! というほかない、奇妙で魅力にあふれたアフリカの貴種流離譚だった。
 主人公の《わたし》は、《やし酒を飲むことだけしか能のない》男で、父から与えられた広大なやし園と、やし酒造りの名人のつくる酒を飲んで毎日を送っていた。だが、父が死にまたやし酒造りもある日木から落ちて死んでしまう。これではやし酒が飲めず、それまで酒目当てに彼の家に来ていた友人たちも、それっきり来なくなってしまった。考えたすえ、主人公は《この世で死んだ人は、みんなすぐに天国へは行かないで、この世のどこかに住んでいるものだ》という古老のことばを頼りに《死んだやし酒造りの居所を探しに、住みなれた父の町を旅立った》のだった。
 当世風の小説を読み、目の肥えたかたがたならば、そういう妄想と現実の入り混じりの物語だろうなと思うかもしれません。あるいは故事か何かのように、酒を飲み過ぎた男のうたた寝のあいだの夢物語ではないかと訝しむやもしれない。でも、ちがうのだった。《わたし》の生きる世界では、ほんとうに死んだ人はどこか遠くに居て、そこで生活を送っていて(-p128)、その「死者の町」に行きつくまでには、あまたの奇妙な生物や神や彼らの暮らす縄張りや島や村があるのだった。
 たとえば、こういう一文には当世風の小説とはまるでちがうおもしろみを、僕は感じた。

《故郷の町を出てから七ヵ月たって、わたしはある町に着き、ある老人の所へ行った。この老人というのは実は人間ではなく神様で、わたしが行った時丁度妻と食事をしているところだった。》(-p11)

 ある町に暮らす老人がじつは神であるという点、そしてその神が、ごくふつうの生活を送り、妻と食事をしている点は、いいようもないユーモアを感じる。
 また、神の家に人間が気軽に入ってなどいけるものではないらしいのだけど、《わたし自身も神でありジュジュマンjuju-manだったので、この点は問題がなかった》(-p11)という。読者は、ぼんくらな息子の放浪譚だとばかり思いつつ読んできて、いきなりその正体が神だったととつぜん明かされる。ほんとうに神なんだろう、だって本人がそう言うのだから、こう納得するしかないのだけど、僕は読みつつ大笑いしました。
 物語は、あるところへ行きやし酒造りの男がどこへ行ったか知らないか、そこへ行くにはどうすればいいのかと尋ね、居場所を教える代わりに無理難題の解決を求められるという、さきほど書いた貴種流離譚の様相ですすむ。そしてその道中に出遭う恐ろしく、けれどユーモラスな生き物たちとの闘い、あるいは交感が淡々とした筆致で描かれる。
 そう、ユーモラスということばを陳腐化するまで振り回さないといけないくらい、この小説に登場する者たちはみなおもしろいと僕は思った。市場で出会う《〝完全な〟紳士》など、《背丈が高く、すらっとして、しかも屈強で、身体のどこをとってみても、完璧》(-p21)なのだけど、これがじつは人間じゃない。この男は市場で商売を終えると、底なしの森へと帰っていく。その道々、《自分の身体の借りた部分を所有主に返し》(-p23)ながら帰る。脚、あばら、皮と肉……ついには「頭ガイ骨」だけになってしまう。主人公は、その男に付いていったばっかりに、囚われの身となってしまった娘を助けるよう町の長に頼まれ、救いにいくことになる。娘を助けだすことができて、主人公は彼女を妻とする。
 また、「ドラム」、「ソング」、「ダンス」は、この世界では固有として存在する。この地上のだれも、彼らよりも上手くリズムを刻んだり、歌ったり、踊ったりすることはできないというのだ。
 また、

《ある夜、十時頃、ある男が、わたしの家を訪ねてきた。そして彼は、自分は「貧乏」という言葉を始終耳にしているが、貧乏とはどういうものなのか知らないから、一つそれをぜひ知りたい、と言った。そしてさらに言葉をついで、「幾らかお金を貸してほしい。そしてその担保として、わたしは永久小作人となって、あなたのために働きたいのです」と言った。》 (-p113)

 こんな男もでてくる。けれどこの男は人間ではなく、《実は「森林の生物」全体を統轄する長であり、「森林の生物」界に君臨する最大の実力者》(-p117)だった。
 また、この世のすべてを呑みこんでもけっして満腹になることのない「飢えた生物」や、逆境や困難に出遭い、そうした艱難に耐えしのぶひとびとを助けることを生業としている「誠実な母」などといったものも登場する。そうした者たちに助けられ、ときに追いつめられながら、主人公はやし酒造りの男を探す旅をするのだ。ちなみに、途中で主人公とその妻とは、《七十ポンド十八シリング六ペニーで、「わたしたちの死を売り」渡し》(-p85)てしまっていたから、決して死なない。んなアホウな、と思うのだけれど、そうなのだから仕方がない。
 この小説をなにがおもしろくしているのか、そう考えると、あらゆる場面、ひとびとに、僕らにはべったり付いているものがないということがあるように思う。べったりと僕らに付いているもの、それは近代という発想の方法だ。このどうしようもない代物から自由である、という点こそが、僕にとって本作に対して「いいなあ」と思わしむるところだった。
 前回すこし書いたのだけれど、日常/非日常の切れ目の曖昧さを近代以前の日本は有していた。それが、妖怪やもろもろの怪異とひとびとの距離をきわめて近しいものにしていたと僕は考えている。この距離が時になくなりひとが怪異に落ち込んでしまう、妖怪に出遭ってしまう、この日常からの転倒を、再転倒によって回復させることがマジナイであろうと書いた。これは別に僕個人の意見じゃなくって、もちろんはるかに優れた研究者によって書かれてきたハレとケについての空間論を、僕なりに解釈しただけにすぎない。網野善彦は、『歴史を考えるヒント』中に、ケガレという状態のことを《自然と人間社会との均衡が、人間の意思を超越した力によって崩れた時に起こる事態》と書いている。この自然の社会に対する超越、均衡の崩壊を近代の人文、科学の発想は防いできたといえるんだろう。でも、魔法や神や妖怪という、象徴化された自然の超越が社会から一掃された近代という時間空間に生きる僕・僕らは、そこにいいようのない退屈と、閉塞をも感じとってしまう。いや、この退屈と閉塞があればこそ、ひとは小説のなかに何がしかの興奮を求めるのかもしれない。そして考えていくと《仕方ない、これが近代だ》――そういってしまうことが、なによりも退屈な証なんだろう。だってあまりにも陳腐な答えなんだから。
 そこに、そのつまらない近代の土台のうえに立つからこそ、僕はこの『やし酒飲み』におもしろみを感じているんだろうと思う。本作には、あらゆる意味で日常僕が接している社会とは異なる世界が広がっている。それは主人公が神である、ということ、奇妙な生き物が森林に跋扈していることだけに留まらない自由な世界だと思う。たとえば、「誠実な母」という人間(?)にしてもそうだ。彼女は艱難辛苦を忍ぶひとを救うこと、という「仕事」によって、小説において特殊な存在とされている。これは病院に勤務する者にとっての「職業」としての「仕事」でもなければ、慈善団体を運営する者の「意識」としての「仕事」でもない。それらには尊い倫理が具わっている。「誠実な母」はただ救うことを生業としている。それはおそらく、鳥にとって空を飛ぶことがそうであるように、またヘビが地面を這うことがそうであるように、「誠実な母」は救うことが生業なのだ。つまり、それぞれの生物が固有な特徴を有するのとおなじく、彼女の固有のものとして、ひとを救うだけなのだと僕は思った。
 こうした固有の特徴を(かなり皮肉に、また逆説的に書けば)「平等の権利を持つ人間」として均してしまったのが近代なのじゃないんだろうか。けれど、この小説においては、ひとであろうと、神であろうと、あらゆる生き物が固有の、その他のだれにも負けない固有の特徴を持っているとされている。これが、僕が本作を自由な世界とするわけだった。
 もちろん、意識的に僕は近代を単純な一面的の説明をしすぎているし、本作の自由な世界が、危険や飢えや死の恐怖にあふれたアフリカの森林をも含んでいることも理解している。それでも、小説内の世界を羨みつつ、つい現代の日本社会に蔑みのことばをぶつけたくなってしまうほど、僕にとってこの作品は魅力的だった。
 最後に、この摩訶不思議で、厳しく恐ろしい自然が描かれつつ、同時にたのしさの詰まった小説でもっとも(そして唯一)悲壮な「嘘」となっているのは、最後の頁にある、

《しかしながら雨は、三ヵ月、いつものように整然と、降りつづき、その後飢饉は、二度とおこならかった。》(-p174)

 だろうと思う。ここは作者の、そして作品の手を離れた、歴史の実証がなされ、また繰りかえされてしまう「嘘」だった。作品が書かれた一九五二年から十年以上に渡るアフリカ諸国の独立ラッシュ(一九六〇年の「アフリカの年」をピークとする)がもたらしたのは、福の神でもあったろうけれど、同時に戦の神も呼ぶことになった。《整然と降りつづ》いたのは、雨だけではなく銃弾や砲弾でもあった。そして旱魃と飢饉はその後《二度》も三度も、アフリカを襲うのである。こののちの歴史を考えると、僕は最後の卵の章(-p166)についても、ある皮肉なイメージを帯びて読んでしまった。ひとびとの望むだけ、なにもかもを生み出す卵とは、独立、急発展という明るいイメージの大陸から、一挙にして苦難のアフリカへと変わってしまった大陸に送られる国際援助だ、というように。これは小説の読み方としては間違っているけれど、現代アフリカという視座が、この一冊によって部分的にではあるけれど開かれた、ということのメモとして記しておきたいと僕は思った。また、この本の前に読んだ岩波新書の篠田豊著『苦悶するアフリカ』があの大陸というものを理解するうえで非常に役に立ったことも。

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

苦悶するアフリカ (岩波新書 黄版 294)

苦悶するアフリカ (岩波新書 黄版 294)